もう20年位経つだろうか、不動産業を始めた駆け出しの私の為に、お客様(地主さん)を紹介して頂いた仕事での協力者がいた。郡山市に合併する前の安積郡富久山町で最後の町長であった村越今朝蔵さんがその人である。(町長のそれ以前は、富久山町に合併される前の小泉村の村長もしていた)その当時はすでに米寿は超えていたが、大変お元気で優雅に余生を送っていた。身の丈おおよそ1メートル50センチ台の小さな体であったが、威風堂々、秘書でカバン持ちの私は、彼の小さな体の後ろで更に小さくなりながら農家を訪問していた。支所や市役所を訪問するときは、腰を伸ばし大きく胸を張り、職員にあれこれ指図をする姿は、まるで現職復活を思わせるようであった。
その頃の言葉がやけに今頃になって気にかかる。「時間どろぼうはするな」との言葉である。何度も繰り返し話され、直接に深い意味を訊くことは一度もなかった。翁は明治生まれの頑固な政治家であり、「公の立場」での仕事の時間、「私人」としての時間配分や、すべての人間は、就寝以外の時間の活用で開きがでてくることは間違いないことを表していると思っていた。まさに…光陰矢のごとし…具体的に表現すれば、「パチンコなどで無駄な時間を過ごさない」「目的のないくだらない会議はしない」「電話で済むようなことは簡単にする」などであろうか。「どろぼう=盗み」であれば、「時間を盗む」とはどのような事だろうか?
最近になって、それ以外にも「約束を守る」と言う意味も含まれているように感じている。約束を守らない人間が多くなった。国民の代表である一国の首相である小泉さんの「公約を守れなかったことは、たいしたことではない」との発言。こうした国民との約束…約束を作成した時間と費やした人の時間を一瞬の内に泥棒したことにならないだろうか。私たちが知人や取引先と普通に約束した場合もそうである。「明日支払います」「来週行きます」と言われたら、違う予定や約束を変更してまでも、誰でもその時間を相手の為にわざわざ空けている筈である。それが簡単に特別の理由もなく反故されれば、その時間を泥棒された、という事にならないだろうか。
時間の大事さは言うまでもないが普段からあまり意識はしない。我が身が禁固1年や懲役2年という事態になった場合や、無人島に流されて一人ぼっちになった時に初めて時間を、時の流れを意識するものではないだろうか。又、最も顕著なものでは、拉致や誘拐も相手の時間を奪う「時間どろぼう」である。拉致被害者の曽我ひとみさんの発言「24年間希望をもって日本に帰る日を待っていました。そしたら実現しました。しかし、また1年半も待っています」は、胸に突き刺さる言葉である。勝手に時間を奪われ、両親とは引き裂かれ、夫、子供までも奪われている。政治の世界でも解決できないもどかしさがそこにある。イラクでの邦人拉致・誘拐も同様だ。常に弱いものが犠牲になる。日本の政府は、自国の利益と国際貢献、復興事業と言う御旗の元に自衛隊を「イラク派遣」している。政府は世界の状況を良く判断して、現地において命がけで日本を守る、自衛官一人一人に対して「時間どろぼう」にならないことを心から念願する。もともとの原因は、フセインかブッシュであろうが、どちらにしても全世界に対して「時間どろぼう」「人命どろぼう」である。
富久山町南小泉に住んでいた村越今朝蔵さんを自宅にお送りする途中、国道288線沿いの食堂で、翁の好物「煮込みカツ丼」をご馳走になりながら、昔の政治家の話や、富久山町の昔を沢山聞いたのだが残念ながら殆ど忘れてしまった。よほどお腹が空いていたのだろう、ジーチャンの話より、食べ物が大事であった。しかしそれでも有意義な時間であったことにちがいはなかった。
2004.4.15 |