早いもので今日はもう七夕。2004年も後半に入りました。先月はこのコーナーを勝手にお休みいたしまして誠にすみません。娘が通う高校のPTAで会報の作成や、年間の地代支払いや、夜間の営業が多かったなど理由はありましたが言い訳になりません。決して山に行きっぱなしで「ワラビ」採りに精を出していた訳ではありませんのでご容赦の程。
郡山21世紀経済クラブが企画した先進地視察の目的で7月2日に佐野市に旅行に行ってきました。朝7時に大型車2台総勢70名余で郡山を出発して、最初は栃木県佐野市にある佐野厄除け大師で参拝し、次に栗田美術館を見学し、食事の後は佐野プレミアム・アウトレットの行程でした。このアウトレットは、過去に2度訪問しており、今回の私の目的は栗田美術館にありました。栗田美術館に関してはホームページもあり詳しい内容はそちらを見れば一目瞭然であり私の如き浅学の者があれこれ言うつもりはありません。伊万里・鍋島に惹かれた栗田英男氏の並々ならぬ蒐集は、「執念・迫力」以外の言葉が見当たりません。展示室のガラスケースに鎮座している陶芸の一品一品から、伊万里の陶芸家が1本の筆を口に加え、もう1本の筆で絵を書くような微妙なる息遣いが約400年を隔ててもなお聞こえてきて、栗田氏と絵師たちの迫力に圧倒され続けました。
3万坪の敷地はほとんどが山で、赤松の山に白壁・銀黒の瓦の玄関・その他の建物は本館・歴史館・無名陶工祈念聖堂(観音様が見下ろしていました)その他陶磁全館・阿蘭陀館など黒を基調にされた建築物は風景と展示物の色合いも良く、格調高く、建築や設計に携わっている方も一見の価値があり、ぜひ見学をお勧めいたします。
さて、歴史的に見ると、1600年に関が原の戦いがあり、徳川側の勝利から徳川政権が発足して長い江戸時代・天下泰平の時代に、オランダを中心としたその当時の世界列強国は中国から日本の有田磁器に目を向けた訳です。オランダ東印度会社(V・O・C)は、東洋の貿易活動を独占して日本に発注していました。日本の神々には出てこないケンタウルス(ギリシャ神話:上半身が人間で下半身が馬)を表現した絵皿や、現在アートに通用する文様が多数展示されていました。中でもキリシタン大名の注文で、絵皿に十字架を民家の軒下に判らないように書く手法など、キリシタンを象徴する文様まで存在していたのには驚きました。
電話もない時代に遥か遠方の西洋から、ジパングの素晴らしい陶器を見に来て、それを発注し、自然の風頼みの帆船で1年単位の長期命がけ運搬。わが国の輸出の第1号は陶器だったのでした。このように考えると陶器は道具ですが、西洋では芸術品でした。このような気の長い交流ができたのは世界が安定し平和だったからでしょう。戦火に怯える人々に「陶器を見て落ち着くように・・・」は無いでしょう。戦渦のイラク美術館で起こった白昼堂々の盗難事件が示すように、美術品は世界平和のシンボルであります。
来週は参議院選挙です。かつて日教組のスローガンに「もう二度と教え子を戦場に出さない」とありましたが、今こそそんな声が聞こえても不思議ではないと思います。
「もう二度と若者を戦争に行かせないぞ」と、命がけの党があったら、その党に一票投じるのに。
2004.7.7 |