[1日]
夜、会社に妹から電話があった。「冗談言うなよ?ほんと?」妹の旦那(義弟)が玄関前で倒れ、南東北病院に救急車で搬送されたとの事。まだ定年前の 58 歳だ。消灯後だが、救急患者を見舞う人の往来で忙しい病院の廊下で、MRの診察結果を待つ時間が長く感じられた。「今夜が山です。出血が止まれば大丈夫ですが、左半身に障害が残るでしょう」若い女医さんが冷たく断言した。「脳内出血」だそうだ。今日の夕方、息抜きに私の会社に遊びに来たばかりだった。少し顔が赤いなぁと感じたが、いつもの明るさだった。妹の娘は先日、高校を卒業して東京に進学し、新たな人生の出発をしたばかりであり、「東京までの運転など、精神的肉体的負担があったのかもしれない」などと推測したが、妹の話だと、元来血圧が高く、薬を飲んだり飲まなかったり、健康面での自己過信があったようだ。高校生の時からバスケットの選手で、国際試合の審判の資格もあるとか、・・・。一日も早い回復を祈るのみだ。
[4日]
(理事・監事)選挙管理委員会として久しぶりに宅建協会の役員会に出席する。
[6日]
慶徳孝一税理士・佐藤文雄司法書士 両先生が講演するセミナー「平成18年改正税法」「新・会社法」がビックパレットにて開催された。タイムリーな講演だけに郡山 21 世紀経済クラブからも17名が参加した。
[10日]
県立高校の入学式。240名の新入生の名前が一人一人読み上げられ、9割の生徒が大きな声で「ハイ」と返事をする。大きな返事はすがすがしい。入学式後にご父兄の前で、調査広報委員会のPRをしてくれと、先生からの突然の指名に戸惑った。学校の「会報」を保護者の視点で作成していること。学校に行けない保護者の為に、取材を通して生徒の「おっかけ」をしていることを話した。
[12日]
30周年記念誌委員会が開催され、原稿の締め切りが近づいている。
[14日]
宅建協会(理事・監事)選挙管理委員会として、総会の場所であるホテルハマツと会場設営の打ち合わせを行った。限られた時間内に、いかに効率よく投票が出来るかは、会場設営にあるからだ。
[21日]
会社に出勤すると当社の役員であり、友人の田崎建一氏から、「母ちゃん死んじゃった」と、電話の向こうで細々な声。「いろいろ分からないし、お葬式の準備など大変だからすぐに来て下さい」。田崎氏のお袋は私のお袋より1歳若い、大正15年3月の生まれで満80歳。すぐに、葬儀会場にて打ち合わせ。夜は、ビューホテルアネックスにて高校の先生方の集まりである「職員クラブ」主催の新任先生方歓迎会に出席。新任校長・新任教頭先生と会食する。
[23日]
田崎氏のお母さん「輝子様」の告別式。田崎氏の友人である北館氏が会津西方から紫の「かたくり」の花を持参して、遺影にそっと置いてくれた。奥会津はまだ残雪があるだろうが春は近い。お袋は、会津生まれ、やさしい「会津弁」で、良く蕎麦を打ってくれた。外は桜満開。田崎氏には忘れられない桜花だ。
[25日]
いよいよ宅建協会郡山支部の「総会」の日だ。選挙管理委員会の「腕の見せ所」である。会合は14回を数え平均3時間として42時間の協議を重ね、告示日から締め切りまで一日も休まず事務所に出勤した成果が問われる。午後3時頃から時間通り改選の投票が始まった。なんと217名の会員が選挙の為に集まった。会員総数は305社であり、71.1%の投票率だ。いかに今回の改選は熾烈であったか物語る。選挙は勝負ではあるが、落選者は少しの差であり、郡山支部の運営には積極的好人物が多かった。票差は無情であるが、今後も支部の為に頑張って欲しい。集計作業は何度も確認して、多少時間がかかったがほぼ完璧だった。終わって懇親会のビールが美味しかったが、風邪をひいたのか喉がやられた。二次会は遠慮した。
[30日]
県立高校の「定例総会」。今度は議長を仰せつかった。次男の時も、高校は違うが議長をしたことがある。10年ぶり2回目である。授業参観もあり、出席者は700名を数え熱心の内に閉会した。これで、2つの総会が終了し、5月11日には郡山 21 世紀経済クラブの総会がある。事務局として総会資料を300部作成する。まだまだ気の抜けない日々が続く。
2006.5.7
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