[4日]
日本銀行福島支店を表敬訪問する。郡山 21 世紀経済クラブでは、ダイユーエイトの浅倉社長を通じて鉢村支店長に経済セミナーの講師を依頼して内諾を得ていたが、正式な依頼のために郡山21世紀経済クラブの二階堂幹事長、遠藤副幹事長と私の三名で訪問した。鉢村支店長は昭和34年栃木県生まれで若々しく、話が経済の話になると更に情熱的になり、その上、歯切れが良いとなれば当然に好感度が上昇する。日銀福島支店は明治時代に全国で9番目に建設されたようだが、私が学生の頃はレンガ造りの重厚な建物で、前面道路には福島駅から電車が通り、近くには屋上にロケットがそびえるデパート「中合」があった。暮れのアルバイトに選んだ日本通運「小荷物配達」の仕事で、電車や車に追いかけられながら、その当時でも「珍しい」と言われた「リヤカー」にいっぱいの荷物をつけて配達したことを懐かしく思い出す。県知事公舎にも毎日のように新巻鮭や会津からの「みしらず柿」それに当時は、珍しい洋酒などをせっせと運んだものだ。木村守江知事の頃だった。
[6〜7日]
第55回東北地区高等学校PTA連合会郡山大会がビックパレットとホテルハマツで開催された。東北6県から1848名の高校PTA関係者が集う。
私に(学校に)与えられた仕事は、7日に記念講演をする芥川賞受賞者の玄侑宗久氏や大会来賓者の接待係りである。朝8時には集合し、それぞれの場所で待機する。お母さん方はお茶やお菓子の準備だ。昨年から準備してきた訳だが気の使う係りである。知事や市長は時間の関係で直接の接待はできなかったが、お昼前には玄侑さんが案内もなくふらっと控室である4階の「特別室」に現れた。お弁当・お茶を用意する前に、「仏教」のことなどを話しさせてもらった。程なく安積高校の関校長が来られたので、係と一緒に記念写真を撮って、私のもっていた扇子に「風流」と書いて頂いた。
[13日]
PTA会報「槻朋」53号が発行された。私は今年から3年生の保護者なので、会報作りのハードな役目から多少は開放されている。今年一年だけだから、協力を惜しまずに保護者の皆さんと仲良くやっていく所存だ。苦労しただけあって良い会報ができた。
[14日]
第88回全国高校野球福島県大会が開催され、「うちの高校」が負けるまでは応援のために全試合に顔を出すつもりだ。11時30分から会津若松市「あいづ球場」で第一回戦だ。相手は強豪「福島西高校」。試合途中で雨が降り出し、濡れながらの応援。今年から応援団にチアリーダーが花を添える。9回表まで4−2とリードされ応援団も声が出ない。雨が本降りになり着ている物(下着も)全てずぶ濡れ。雨に味方のお願い頼み。願いが通じ3点取っての大逆転勝利。グランドは田んぼ状態。相手側に実力があっただけに相手には申し訳ない気持ちであるが味方は大喜び。車に戻り、車内にあった作業服に着替え、磐越道で一気に郡山に戻る。
4時ぎりぎりに着替え、駅前の「ビューホテル・アネックス」で、郡山21世紀経済クラブ主催による日本銀行福島支店鉢村支店長の経済セミナー。演題は「日本経済の現状と福島経済の課題」。今回の司会は私の担当。5時30分定刻に開始された。交流会では、新たなメンバーと名刺の交換ができた。実に非常にハードな一日だった。

[17日]
高校野球の応援 同じく会津若松市の「あいづ球場」へ。今回も雨の中の応援だが、カッパを持参して観戦応援。2回戦 猪苗代高校に6−0で勝利する。生徒と一緒に校歌を歌う。
[23日]
高校野球3回戦。地元「開成山球場」であるので、応援団(チアガール 7 名の地元お披露目である)・吹奏楽・在校生・OBなどなど多数での応援になった。岩瀬農業高校との戦いである。シーソーゲームで白熱戦になった。なんとか凌いで4−5で勝利。PTA保護者のメンバーや先生方と率直に喜びを味わう。このまま勝ち進めば、嬉しい限りだが・・・。
[25日]
高校野球4回戦。福島市「信夫ヶ丘球場」で、会津工業との戦い。
40年前、自分の高校生時代に野球応援に来て以来、久しぶりの球場に自分の青春時代を重ねる。試合は初回の4点が重く、打者に固さが見受けられ、残念ながら4−0で完封負け。数日後、選手保護者代表の安瀬さんから「応援の感謝」の電話を頂いた。それどころか、生徒(選手)から「感動」を頂き、幾度と無く「感涙」し、校歌を生徒と歌い、充実した観戦の連続でしたと応えた。
2006.8.5 |