またもや訳の分らない事件が続いている。世の中が混沌としている。大の大人が途中で政権を放り出しても、国会=金にしがみついている。安倍も福田も、てっぺんを途中で放り出したら辞任するのが政治家の道だろう?本当のけじめだろう。国会議員を辞めたら御苦労さんってなるけど、首相やめて政治活動は何やるの?ただ単に自民党員としての数合わせだけ。仕事しないで給料盗り。ブログで、政治活動再開なんて書いたって誰が彼らに期待しますか?国民は舐められっぱなし。この借りは選挙で返そうね、山口県民・群馬県民の皆様!清き一票頼むよ。
輸入汚染米問題、おかしな事件ではないだろうか?政府が、もともと汚染された米を買ったからだ。説明では食糧で無く工業用糊のため?でも食べ物の米だよね。工業用糊も家庭や学校で使うよね。子供が舐めるかもしれないって考えなかったかい?検査して汚染されていたら、「こんな米でなく、きれいな米を作れ」と指導して突き返せ。その方が両国にとって良好な関係が築かれるだろう。政府は牛肉で見せた強い気持ちで対応しろ。安い米で焼酎を作った醸造メーカーもひどい!材料を吟味しろ。日本酒の醸造メーカーでは自分の田で米を栽培している企業もあるぞ。安けりゃ良いのか。儲かるから使うのだろう。自分で納得した材料で良い製品をつくれ。騙されたのはお前たちでなく俺達消費者だ。
2008.9.9
ここからは、冷静に過去の物語を連載で書いてみます。
「I君ものがたり」(その1)
1986年(昭和61年)1月は、国会において中曽根首相が施政方針演説で、戦後政治の総決算路線と国際国家論を強調した年であった。5月には東京でサミットが開催された。ラジオから流れてくるテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を聴きながら、私は春の日差しを感じてある事務所に向かっていた。その事務所は1間半四方の小さなプレハブであった。そのプレハブ事務所は不動産業者であった。取引先の方から「転職を希望している不動産取引主任者がいるので会ってみたら」との話があって面接に行ったのだ。それがI君との初めての出会いだった。
小さな事務所にはクーラーもなく、緊張気味に汗を拭いながら自分の夢を語るI君であっが、私は「この事務所は本格的夏になれば相当に暑いだろう」と自分の立場に合わせて同情していた。「履歴書を出してみて」と告げてそこを出て私の会社に戻った。会社は、富久山町久保田字古町に所在し、弊社株主であるM建設会社所有で、ある銀行の仮設店舗に使われた「縁起の良い」事務所ではあったが2階建のプレハブで、1階は物置2階が事務所であった。天井には断熱材やクーラーなどは無く、夏は蒸し風呂状態であった。2階の住人は、その建設会社の関連する会社が存在し社員は事務員含めて3名、そこに私が居候として一つの机を借りていた。財産と言えば電話とタイプライターだけである。居候の証拠に家賃も株主の厚意で無料であった。追いかけるようにI君が来て、履歴書をもってきた。丁度タイミング良く、我が社の役員が居て再度面接をして直ぐに採用となった。彼の異動は、小さなプレハブから少し大きいプレハブへの移動であった。履歴書の志望の動機に「不動産を通して私には何が出来るのかを確かめてみたい。それが明日の貴社の一助になれば幸いである。」とあった。採用日は昭和61年5月25日、彼は当時28歳。日に焼けて少し色黒。身長約165cm。
(つづく) |