毎日のニュースは、イラクから始まって、北朝鮮問題を次に挙げている。又私もイラクから。
火薬庫へ導火線が・・・全世界を敵にまわしてもなおブッシュは、導火線に火をつけようとしている。それを止める役目の 007 こと英国ボンド氏もガソリンを用意しており最悪のシナリオを演じようとしている。
今月から再開した「仏教の原点」を勉強していく過程で無神論者である私は、宗教とは・・・と常に考えるようになり、仏教に拘らず、人間として生きる力強さを求めている自分がそこに発見できる。西側の宗教にも十戒があり、人殺しは罪であることを教えている筈だ。「汝の敵を愛せ」と更に言葉を重ねている。イラク・北朝鮮の問題は、己が他人を愛せず、尊厳をも踏みにじる殺伐とした時代の到来を加速しようとしている。先人からの教えである「道徳」は、子供にとって実践のできない理想になってしまうのか?残念な事だが、私を含めて子供の見本になる大人がいない。血税で生きている天下り吸血鬼や、何度も年金を搾取する自称・政治家。消費者を欺く表示や、混ぜ物をして膨大な利潤追求の経営者。他人の不幸の上にあぐらをかいて自己保身だけ考えている人間の顔をした悪魔だらけだ。我々は子供に夢とか希望とか、どのように教えていいか?本当に分からなくなる。
日本の株価は8000円を割り込み、底の無い泥沼に突入している。日本経済は再起できるのか?再起のシナリオを小泉・竹中・塩爺は用意しているのか?国民はもう我慢の限界である。どんな会合に参加しても、来賓の市長や経済界代表の挨拶は、政府=小泉=自民党への批判であり、これは日本共産党以上にすさまじい。不思議な光景である。しかし国民は騙されても、騙されてもまだ自民党なのである。地方選挙がすでに始まっているが、運動員は相変わらず踏み絵の如くの無駄な署名集め。議会に出ているだけで、何も勉強もしない、何も疑問に思わず、何も発信してくれない、議員の就職活動の為に署名活動など、私はしない事と決めている。
仏教の原点は、今、日本人の間でよく読まれ、写経の手本になっている「般若心経」の解説になります。漢訳した「般若心経」は、書店にありますので、お手元において研究して下さい。
仏教の原点(後半) 編集者・佐藤勝彦 『般若心経』の中の要語解説
1.摩訶(まか) 中国の唐の時代(618~907年)、太宗皇帝(第2代。在位 627 ~650 )の勅命により、国家事業として三蔵法師玄奘( 600 ~664 )が多くの学者を集めて翻訳作業に従事した。その時の、翻訳上の約束ごととして「五種不翻(ごしゅふほん)」というものがある。
それは、サンスクリット語(古代インドで文書語として使われたもの)で書かれている経典を翻訳して漢字に書き改める(漢訳する)ときに、次の5つの理由によって、インドの言葉を翻訳せずに原語のままにしておく(といっても、発音をそのまま漢字を使って表現するもので、音訳とか音写と呼ばれる。日本では外来語などを表現する場合は普通カタカナが使われる)ということである。 秘密故=呪文のように秘密の言葉であるため。 多義故=ひとつの言葉がいろいろな意味を有する場合、どれか一つの意味だけを採ると、他の意味が欠けるため。 此地無故=インドにあって中国に無い言葉であるため。固有名詞など。 順古故=三蔵の数百年前から旧訳(くやく。玄奘以降のものを新訳と呼ぶのに対して使われる)といわれているものが出ているわけで、以前から使い慣れているため。 尊重故=訳さない方がむしろそのものずばりの感が強く、それを尊重するため。 摩訶(まか)の原語(サンスクリット語)は「マハー」であり、この言葉は、 「大」「多」「勝」 の3つの意味を含む。即ち、上記の五種不翻の(2)に該当するため、音写している。
※注1:「般若心経」の中で、サンスクリット語を音写してあるその他の言葉。 仏=ブッタの音写。仏陀と漢訳し、略して仏。 般若=プラジュニャーというが、パーリ語(地方語、俗語)では、パンニャーという。パンニャーの音写。 波羅密多=パーラミターの音写。 舎利子=シャーリプトラの音写。 菩提薩 ?=ボーディーサットヴァの音写。略して菩薩。
2.般若波羅密(はんにゃはらみつ) 般若とは、智慧の意味である。この智慧は学問とか経験による知識の積み重ねで得られるものではなく、宗教的体験により得られる智慧である。この智慧を獲得したことによ閨A釈尊は悟りを開き仏陀となったのである。このことから般若は仏になるための母胎、仏母(ぶつも)と呼ばれている。
波羅密は波羅密多といい、サンスクリットのパーラミターを音写したものである。究竟(くきょう)、到彼岸(とうひがん)などと訳される。一説に彼岸に至れる状態を意味するといわれ、現代語訳では「完成」と訳され、般若波羅密は「智慧の完成」と訳される。
また、大乗仏教では菩薩が実践すべき徳目を総称して波羅密といい、これに 布施 (ふせ)・ 持戒 (じかい)・ 忍辱 (にんにく)・ 精進 (しょうじん)・ 禅定 (ぜんじょう)・ 智慧 の6種を教える。これを総称して 六波羅密 (ろくはらみつ)という。
布施は、人に財を与えたり、真理を教えたりすることで、現在でも寺院や僧侶に対して行われる「お布施」と同じである。持戒は、仏教の戒律を守ること。忍辱は迫害や困苦に耐え忍ぶこと。精進は心身を励まして継続的に修行を修める努力をすること。禅定は精神を集中統一することで、一種の瞑想である。智慧は、他の五波羅密の実践によって迷いを離れ真理を悟ることである。
これらの項目はすべて自己を完成するとともに、他者を利すること、つまり救済することを目的としている。また、大乗仏教ではすべての衆生が仏陀となる素質(仏性。ぶっしょう)をもっていると考えるので、六波羅密の項目は、まず与えること(布施)から始まる。つまり、誰でも衆生救済を求める心(発菩提心。ほっぼだいしん)さえもてば、身近なことから実践することができるというのである。
このように六波羅密の実践が布施から始まることは、大乗仏教の本質を示す重要なことである。すなわち、すべての人が等しく仏性を持つとする大乗仏教では、誰にでもできる身近な実践から、ついには般若波羅密に到ることができるということが重要なのである。 さて、観自在菩薩は、深く六波羅密の実践をして(行深般若波羅密多)、五蘊皆空(ごうんかいくう)のような真理を悟ったのである。







