社長のひとりごと

2003.05.01

イラクの次は、中国発の新型肺炎(SARS)の登場と人の生死にかかわる暗いニュースが世界を駆け巡る。私は現実から逃避するかのように休日には、なるべく山に自然の声を聴きに行く。山の頂から下界を見渡すと、一斉に噴き出した木々の新芽の緑は例え様もなく美しい。この時期の山は全て、柔らかな、薄い緑のミンクのコートで覆われているような、そんな形容である。新緑を撫でて春を運ぶ心地よい風。春を喜ぶ小鳥のさえずり。陽気に誘われ、踊りながら散歩している山猿。新芽のオンパレードはカタカナ群。コゴミ・ウド・エラ・ワラビ・コシアブラ・タラ・ウルイなどなど。新芽は柔らかく、ほろ苦く美味しい。山であれば、どんな場所にも全ての植物が自生しているわけでなく、それは山の役割分担があり、日当たり・土の性質・湿度・養分が複雑に混じり合って種を育てている。ここにも個性がある。春の恵み(恩)にひたすら感謝し、爽やかな五月をおおいに満喫している今日この時期である。


仏教の原点(後半)  編集者・佐藤勝彦
『般若心経』の中の要語解説

4.五蘊(ごうん) 五蘊とは「五つの集まり」という意味で、人間存在を含むあらゆる事象を色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)  の五つの要素に分類したものである。

まず、 「色」 とはわれわれ人間の肉体を含む物質的構成要素のことである。
「受」 は人間の感受作用。外界からの刺激に対して感覚・知覚・印象などを受け入れことである。つまり花を見てそれを認識することであり、暑さ寒さを感じることである。その受け入れ方に苦・楽・不苦不楽の3種類があると言う。 「想」 は「受」で受け入れたものをのちに心の中に思い浮かべ、概念化することである。

「行」 は意思的作用といわれる。自らの意思によって対象に積極的に働きかけることである。たとえば美しい花を見てそれを手折ろうと思うことであり、また実際に手折る行為である。善悪の行為であり、業(ごう)といわれるものである。因果の考え方と結びつき、今の善悪の行為(業)は苦楽の果報をもたらすと考えられるようになった。最後に 「識」 は対象を区別して認識することであり、また心作用全体を示す。

この様にわれわれ人間存在は、物質(色)と精神(受想行識)とからなる。しかし、仏教では諸行無常を説き、あらゆるものは移り変わり、所詮は消去するものと考える。その為、 五蘊仮和合 (けわごう)といい、世の中のあらゆる物質及び精神はさまざまな条件(縁)によってかりに結びついているとみなす。

ところが凡夫は五蘊の中に永遠の実体を認め、それに執着する。自らの肉体が永遠存続することを望むが、それはやがて衰え消滅するものであることは明白である。つまり、財産や地位に執着するが、それも永遠に続くものではなく、人々は栄枯盛衰のなかで一喜一憂するのである。

このように、われわれは五蘊のなかに永遠の実体を認めるために、期待と現実の相違に苦悩するのである。しかし、五蘊が仮和合であり、永遠の存在などどこにもないということを正しく悟れば、世俗の些細なことで一喜一憂することもなくなる。

観自在菩薩は、般若の智慧によって、五蘊をつぶさに観察した。(照見)

その結果として、そのすべてが実体のないことを悟ったのである。(五蘊皆空)

5.空(くう)
 空はサンスクリットのシューニャの訳語で、あらゆる存在には実体がないという意味である。大乗仏教の中心的な哲学思想であり、この思想は一連の般若経典に詳しく説かれ、その内容は『大般若経』 600 巻にまとめられた。この『大般若経』の真髄を短く凝縮したものが「般若心経」である。

 一般的には「空」には空虚な、そして消極的なイメージがある。しかし、仏教で説く「空」は存在を正しく認識するための、積極的な概念である。

 よく"白紙に戻す"というが、「空」は色づけされない、さらの状態である。だから、つかいようによっていかようにも変化する。無限の可能性をもっているのが「空」なのである。
すなわち「 すべてのものは空である(一切皆空) 」という認識に達することができれば、 執着を離れて苦悩のない状態に安住する ことができるのである。

 このような認識のあり方こそが般若波羅密多(智慧の完成)なのである。そして、一切皆空と認識することが、すなわち悟りの境地に達することでもある。この意味で「空」は悟りの境地を支える重要な役割を果たしている。というよりも、空自体が悟りの境地ということになるのである。

 われわれ人間を含むあらゆる事象は、五蘊仮和合であり、実体のないものである。観自在菩薩は五蘊をつぶさに観察して、それが「空」であることを正しく認識したのである。これが「五蘊皆空」の意味である。『般若心経』は空の思想の真髄を説いた経典であり、以下あらゆるものが「空」であることが逐一明かされるのである。